たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑥

こんにちは。たまちゃんです。
この度、女性のお悩みカウンセラーとして活動していくことにしました。

ということで、どうしてカウンセラーになったのか。
そもそもなぜ女性のお悩みカウンセラーなのか。
そんなお話を、生い立ちを追って書いています。
そして今回は、前回の「たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑤」の続きです。

たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑥1度目の結婚

26歳で、友人の弟と結婚した。
友人は年上の女性で、夫となる弟は同じ年だった。

話をしたことはなかったけど、何度か見かけたことがある彼は。
見かける度に違う女性を連れているような、そんな人だった。
だから選んだんだよね、きっと。
チャラい男性の方が自分には合ってるって、自己肯定感の低い私が考えそうなことだ。

結婚後は東京に2人で住み、27才で長女を、29才で次女を産んだ。
30歳の時、長男という理由だけで夫の実家で義両親と同居することになった。
東京から長野県の田舎に移り住む。
それがどんなに大変なことか、当時の私は知らなかった。

長野県で三女を出産した。
女の子しか産まない私は肩身が狭かったな。

直接何かを言われることはなかったけど、男の子がいるから安泰だねと、私の目の前で、義両親が他の母親に行ってる姿を見るのが辛かった。
今でも地方によっては、長男を産むことが嫁の仕事って場所があるんだよ。

同居していた家には、目と鼻の先に嫁いだ義姉が毎日のように遊びに来た。
月に何度も、義姉の子供たちだけが週末に泊まりに来て。
家事と家業と、自分の子供たちと義姉の子供たちの世話に追われる日々。
合わせて7人の子供たちの世話は、本当に大変だった。

時間通りに作らないと怒られる食事作り。
やったこともない畑仕事や集落の人付き合いに右往左往し。
庭掃除も草とりもできないと、なじられる日々。
そして何ひとつ守ってくれない夫。

それでも耐えたのは、自分にはこれくらいの苦労があっていいんだっていう思い込みがあったから。
でもそんなのは長くは続かない。

いつしか夫婦の会話は減り、冷めた関係になり。
とうとう夫が朝まで帰らない日が来た。
あの時、朝まで一緒に過ごした彼女のことを、夫が好きだったかどうかなんて知らないし。
どうでもよかった。

自分でパートナーに選んだ私を、自分の実家に住まわせ、家政婦のように扱い。
田舎のしがらみや親兄弟の非難から守らず、自分は外へ逃げていった。
そんな夫に嫌気がさし、子供と家を出たのが34才。

二度と男なんて信じない。
男なんて全員最低な生き物だって、心の底からそう思った。

たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑥シングルマザー

6才、3才、2才の娘たちと私の、4人暮らしが始まった。
最初に就いた仕事は、ハードコンタクトレンズを作ってる工場で、レンズの検査をする仕事。

お給料は安かったし、子供たちのこれからを考えると、手に職がないと大変だなって思って。
数か月後にヘルパーの資格を取って、介護の仕事に転職をした。
その後も転職を重ねながら、4年後には介護福祉士の資格を取って、収入を上げていった。

最初は本当にお金がなくて、食べていくのが精一杯だったけど。
それでもやっていけたのは、姉や妹が援助をしてくれてたからだった。
県や村からの子育て支援金は子供のために使って、残りは子供たちの今後の学費のために貯蓄していった。

当時住んでた県営住宅には、私と同じような暮らしをしてる人も多くて。
それも励みになってた。
家と保育園と学童と職場とスーパーだけを往復する日々だったけど。
それでも元気に頑張れたのは、周りにいた人たちのおかげだと思う。

いつも時間に追われる生活の中で、子供を強く叱ることも多くて。
子供の寝顔に向かって、泣きながら謝る夜も数え切れないくらいあったけど。
それでも娘たちは私の宝物で。
命を懸けて守ると決めてた。

とにかく笑って過ごそう。
何があっても大声で笑い飛ばして、悩むのはその後にしよう。
そう決めて暮らしてた。

寒い日はみんなで寄り添って温まればいいし。
暑い日は互いに風を送りあえばいい。
大変なこともみんなが一緒なら頑張れる。

そうやって暮らしてるうちに、長女は12才になってた。
6年間、必死に子供と暮らした時間が、私の強さの素となってるんだと思う。

たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑥離婚とシングルマザー生活が私に教えてくれたもの

一人で3人の子供を育てる暮らしは、精神的にも辛いことが多かったけど。
収入が増えて心に余裕ができるたびに、子供を叱る場面が減っていった。

いつしか、子供がこたつ布団に水をこぼしても、水ならぶっちゃけシミにもならないし乾けばいいよね、なんてことを笑って言えるようになった。
たとえジュースをこぼしたとしても、洗えばいいじゃんって思えるようになっていった。
それよりケガしなくてよかったねって、そう思えるようになっていった。

仕事を頑張ることで収入が増え。
収入が増えることで生活が変わり。
生活が変わることで、考え方や物の見方が変わっていった。
一人で子供を育てていく中で、今まで経験したことのないことが自分に起きていった。

これまで流れに身を任せて、耐えることで苦難を乗り越え、生きてきた私にとって。
この経験はすごく大きかった。

大嫌いな母と同じ、離婚という選択をした自分を嫌味嫌い。
いつしか母と同じような、最低な人間になっていくんじゃないかって怖かったけど。
そんなことはなくて。

母とは違い、子供のことが大好きで宝物だと思えたし。
愛してやまない存在だったし。
子育ては大変だったけど、同じくらい楽しさもあった。

自分は母から生まれたけど、母とは違う人間なんだ。
たとえ親子でも、別の人格を持ち別の人生を歩めるんだって、そう思えた。
そんなの当り前に思ってる人からしたら、不思議かもしれないけど。

最低な人間から生まれ最低な人間に育てられた私は、最低な人生しか歩めない。
私は本気でそう思ってた。
だからすごく辛かったんだよね。

自分の人生や自分の考え方を、自分で変えることができる。
そんな産まれて初めての体験が、その後の私の人生を大きく変えていくことになる。

長くなったから、続きはまた次のお話しでね。

前回までのお話はこちら↓

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