たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑤

こんにちは。たまちゃんです。
この度、女性のお悩みカウンセラーとして活動していくことにしました。

ということで、どうしてカウンセラーになったのか。
そもそもなぜ女性のお悩みカウンセラーなのか。
そんなお話を、生い立ちを追って書いています。
そして今回は、前回の「たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで④」の続きです。

前回は、中学生から事件が起きるまででした。
今回は事件後のお話です。
少し重い話の続きになりますが、お付き合いください。
では、「たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑤」です。

たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑤母に捨てられた私

保健室で泣き続ける私。
保健の先生も1人で困ったんだろうね。
もう1人、社会科の先生を保健室に呼んでくれた。
この社会科の先生が、のちに私に生きる勇気を与えてくれることになる。

私の話を最後まで聞いた2人は、この後私に付き添って、警察に行ってくれるということになった。
これで地獄のような生活から解放されると思ったけど。
そうはうまくいかなかった。

警察でも、保健室で話したように夜中に起きたことを話したけど。
どんなに訴えても、信じてもらえてないと感じた。
実際、もっと具体的に何をされたのか話さないと分からないと、何度も何度も言われたけど。
14才の子供が、具体的に話せるわけもなく。

私の話を聞く男性の警察官の目を見ながら、子供のたわ言と思われてるような気がした。
証拠なんか何もないけど、なんとなくそう感じた。

それでも母がくれば、母が一緒に話してくれれば、信じてもらえるだろうと思ったけど。
それも違った。

警察に来た母は開口一番。
「この子はウソをついてる」と言ったんだよね。
虚言癖(きょげんへき)のある子だから信じないでくださいって、警察官に言ったんだよ。

守ってくれると思っていた母は、私よりあの男を選んだんだ。
あまりのショックに声も出なかった。
警察官も母の話を信じると言い始めて、あっという間に私の訴えは退けられた。

そしてそのまま何も無かったことにされて、家に帰った。
その日の夜は母に捨てられたショックと、義父への恐怖でほとんど眠れなかった。

たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑤姉妹で暮らし始める

その後の記憶はあいまいで、ほとんど覚えてないんだけど。
姉に電話をしたような気がする。
電話をしてすぐに姉の家に行った記憶があるから。
姉は、私と妹をすぐに自分の家に呼び寄せてくれたんだと思う。

この時、姉は21才。
自分の事で精一杯だったはずなのに。
いろんな手続きをして、私と妹があの家から出て、姉と一緒に暮らせるようにしてくれた。

姉と妹と私の3人で暮らしながら、相変わらず姉は一生懸命働いた。
私も昼間は働いて、夜は定時制高校に通った。
せめて妹だけには、普通の高校生活を過ごしてほしくて、昼間の高校に通ってもらったんだよね。

だけど、そんな3人の暮らしも長くは続かなかった。
私は感情のコントロールが効かなくて。
姉にもずいぶん反抗して。

結局、高校4年の時に、勝手に銭湯の住み込みの仕事を決めて、私は家を出て行った。
家賃の代わりに銭湯の掃除をしながら、昼間はバイト、夜は定時制高校に通う日が続いた。

そんな私を姉は心配して、連絡をくれたりしてたんだけど。
姉の気持ちを踏みにじり。
恩を仇で返すようなことばかりを、私はその後何年も繰り返した。

たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑤憎しみと愛情の波の中で

19才で、4年間の高校生活を経て社会人となった私は。
母に対して、憎しみと愛情の、相反する感情を持ったまま生きてた。

もしかしたら本当は、私を愛してくれてるかもしれないという期待と。
あの日私ではなく義父を選んだという、私を捨てたことに対する憎しみ。

そんな揺れ動く感情の波の中で。
男性不信のはずなのに、人恋しさからすぐに男性と関係を持ってしまうという。
理解できない行動を繰り返した。

今思えば、自分を傷つけたかったのかもしれない。
自分なんて生きてる価値もなくて、どうせ体は汚れてる存在なんだから。
どうなってもいいとさえ思ってた。

どうなってもいいんだから、最低な男とばかり付き合ってたし。
本当に優しくて親切な人と出会っても。
最後は自尊心の低さから、側にいることがいたたまれなくなって、自分から離れていった。

あの頃の私は、常に愛情を確認していないと不安でたまらなくて。
だけど、相手を怒らせることでしか確認できなくて。
感情の起伏も激しくて。
付き合っている相手からは、手に負えない女とよく言われた。

一人暮らしをしながら、当時流行っていた自己啓発セミナーに通ったり。
その一環で、憎いはずの母や義父に会いに行ったり。
めちゃくちゃな生活を送りながら、ずっと姉や妹に迷惑をかけ続けた。

たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑤結婚と子育て

めちゃくちゃな生活を送る中、姉や妹が順に結婚していき。
私はきっと寂しくなったんだと思う。
その時たまたま付き合ってた相手と、26才で結婚することにしたんだけど。
今考えれば、そんなに好きじゃなかった気がする。
本当に相手に失礼な話だけど。

だけどこの結婚を機に、母と義父との関係を断ち切ることができたから。
私には必要なことだったのかもしれない。

元夫に対しては、自分にはこのくらいの人がちょうどいいって思ってた。
言葉を選ばずに言うなら、さほど賢くもなく顔面偏差値も中の中。
料理に関しては天才的な才能を発揮するけど。
それ以外は何もできない人だった。

それでも娘に恵まれて、人並みに幸せを感じてた。
子育てをしながら家事をこなし、安心した生活を送る中で。
私の感情も少しずつ安定していく気がした。

ただ一つだけ、子育てに全く協力しない元夫の中に、母の影を感じてた。
女としてでしか生きることができなかった母と同じ影を、元夫の中に感じながら。
気が付かないうちに、憎しみが生まれてたのかもしれない。

この後、30歳の時に元夫の実家に入り、一緒に暮らすことになるんだけど。
これが離婚への第一歩となるなんて、あの頃は思いもしなかった。
私の自尊心をさらに傷つける日々が待ってるなんて、想像できなかったから。

たまちゃんが女性のお悩みカウンセラーになるまで⑤10年以上かかったこと

14才のあの日から。
私が自分で自分の命を絶つことなく生きてこれたのは。
姉と妹が側にいてくれたのはもちろん。
警察に一緒に行ってくれた、社会科の先生のおかげだ。

あの日以来、毎朝校門の前で私を待ち、「おはよう」と声をかけてくれた。
放課後、家に帰る私に向かって、「死ぬなよ」って、「生きろよ」って声をかけてくれた。
あの先生の声掛けがあったから、生きる勇気が湧いたんだと思う。

一人ぼっちじゃなかったことが、私の唯一の救いだったのかもしれない。
姉や妹、学校の先生、友人。
側にいてくれる人がいたから、頑張れたし。
頑張って生きてきたから、結婚もできたし娘を授かることもできた。

誰かが側にいてくれるだけで、心強く思えることってあるよね。
自分が生きていくことを望んでくれる人が、たった一人でもいてくれれば、それだけで頑張れるよね。

そんなことを、14才のあの日から10年以上の時間をかけて、やっと知ることができて。
家庭を持つこともできたけど。
この幸せも、そう長くは続かなかった。

長くなったから、それはまた次のお話にするね。