「生きる意味ってなんだろう?」
「みんなは生きる意味をもってるの?」
「私は必要のない人間なんです」
そう言われるたびに、心がぎゅっと痛くなります。
14歳の冬、私の身にある事件が起こりました。
私の人生は終わったと、この時思いました。
「死」を具体的に考えたのも、この時が初めてでした。
でもね、そんな私のために毎朝校門に立ち、私の登校を待ってくれた先生がいました。
下を向いて歩く私に、「死ぬなよ」と声をかけてくれました。
何も言わず側にいてくれた友達がいました。
劣悪な環境から引っ張り出してくれた人がいました。
私はひとりぼっちじゃなかった。
だから、「死」ではなく「生」を選べたのかもしれません。
ただ、「生きる」というのは簡単なことじゃなかった。
辛いこと、悲しいことが起こるたびに、自分の過去が原因ではないかと、自分を責めていました。
そして、辛いことや悲しいことから自分を守るために、強い自分であろうとしました。
いつも怖い顔をして、虚勢(きょせい)を張って。
誰にも負けない、という強い私を演じました。
でも、この強さは間違っていたのかもしれません。
同時に、母や義父を憎む気持ちは年月が経っても変わることなく。
誰かを憎んでいる自分に苦しんでいました。
そんな私はいつからか、「怖い人」と言われるようになっていきました。
「もっと怖い人かと思った」
私と出会った人は、仲良くなった後に必ずこう言いました。
出会った人と話をして打ち解けるまでに、とても時間がかかりました。
そして「怖い人」と言われるたびに、孤独を感じていました。
「怖い人」と呼ばれるようになって20年以上が過ぎた頃。
そんな自分から脱却したいと思った私は、ある人に相談をしました。
「優しそうな人」と言われるようになりたいと。
その時、その人が私に「あなたは自分で自分を怖い人と思ってるの?」と質問をしてきました。
思ってない、と答えた私に。
その人は、さらにこう言いました。
ならいいじゃない。
あなたは自分は優しい人だと思ってる。
それでいいんじゃない?
見る角度や見る人によって、いろんなあなたが見えるだけ。
それに、怖いあなたもいれば、優しいあなたもいる。
全部が一つになって、あなたでしょ?
私はあなたと初めて会った時、怖いとは思わなかった。
そういうことなんじゃないかな?
この時、胸の中の重く固く引っかかっていたものが、一瞬で消えた感覚を今でもよく覚えています。
「そのままのあなたでいいよ」
そう言われた気がして、気持ちがとても楽になりました。
私は私のままで生きてていいんだなって。
ここに存在してていいんだなって。
そのままの私を受け入れてくれる人がいる、それがとても嬉しくて心強く感じました。
自分自身を傷つけたり、自分以外の誰かを傷つけたりするのって、孤独が関係してるんじゃないかと、過去の私を思い出しながら考えています。
もし、私が学校に行くことを誰も待っていなかったら。
側にいてくれる人が誰もいなかったら。
私がいなくなっても、誰も気がつかなかったら。
ありのままの私を受け入れてくれる人がいなかったら。
きっと私は孤独になり、そこから逃げようとして「死」を選んだかもしれません。
私は「死」を考えながら生きていたけど。
それは生きたかったからだと思います。
どうしても辛くて無理だと思ったら「死」に向かおう。
その代わり、最後まで頑張って生きてみよう。
そんな気持ちで、一生懸命生きていたんだと思います。
ただ自信がなかった。
自分の未来に自信がなかった。
未来の私を幸せにする自信がなかったんです。
自分自身を傷つけたり、自分以外の誰かを傷つけたりするのに、孤独が関係してるんだとしたら。
そのままの自分を認めてくれる誰かを探してほしい。
そしてその人と過ごす、その瞬間の喜びを感じてほしい。
生きる意味?
そんなの私にも分からない。
生きる意味を探すことが、生きる意味なんじゃない?
それに、今こうして一緒に過ごしてることが、もうすでに意味のあることなんだよ。
私はあなたと一緒にいて楽しいよ。
あなたは私と一緒にいて楽しい?
楽しいんだとしたら、それだけで人生最高だね。
そう言ってくれる人が一人でもいれば、それでいいよね。
ではまた。