誰もが依存しながら生きている、大切なのはほどほどに依存すること

相手に強く依存させない。
人間関係で気をつけていることの一つです。

最初は甘えられて頼りにされているのが心地よくて、お願いを聞くんだけど。
どんどん相手がわがままになっていって。
こちらがお願いを聞くのが、当たり前の関係になっていく。
そんな経験はないでしょうか。

親子関係、夫婦関係、仕事関係、ママ友関係など。
あらゆる場面で見られる関係です。

誰もが依存しながら生きている、大切なのはほどほどに依存すること、依存とは

人に頼られるというのは嬉しいことです。
自分が誰かの役に立っているという実感は、自分に自信を持たせてくれます。
でもそれが行き過ぎてしまうと、関係に偏りができてしまいます。

また、依存されることで自分のメンタルを保つ人もいます。
相手の要望に応えることで、自分の存在価値を高めたり。
相手の要望に応えるという行動によって、上に立っている感覚を得て、自分を保ったりします。

では、そんな関係を続けたらどうなるでしょうか。
頼ってきた人は、今後も頼りにしてくるでしょう。
その度に要望に応えていけば、相手のこちらへの期待は大きくなっていき、そのうち自分で考えることをやめてしまいます。

気がついた時には、自分では何も決められない、何も行動を起こさない、ということになっているもしれません。

気を付けなければいけないのは、
依存してくる側だけに問題があるわけではなく。
依存させている側にも問題があるということです。
依存させてしまう隙があるということです。

大切なのは、自分と相手の間に一線を引いておくことです。
ここから先は誰も立ち入らせないという、線を引いておくことです。
これが自分と相手を守ることにつながります。

誰もが依存しながら生きている、大切なのはほどほどに依存すること、依存させた思い出

その昔、私も一線を引くことが出来ずに相手に依存させてしまい、悲しい思いをさせた人がいます。
もう何年も前の話ですが、介護の施設で出会った利用者です。

最初は小さな親切心からでした。
喜んでもらえるのが嬉しくて、少しだけ過剰にお手伝いをしました。

その後は何かにつけて、名指しでお願いされることが増えていきました。
「やっぱりあなたが一番ね」という言葉が、相手から頻繁に出るようになりました。

自分でできることまで、「私は特別よね」と言いながらお願いしてくるようになり。
私がいないと、何もできない人になってしまいました。

小さな親切心からお願いを聞き続けた結果、依存させてしまったのは私です。
その人にとって私は、なんでもお願いを聞いてくれる特別な人になってしまいました。

結局、このままではいけないと気が付き、私の方から少しずつ距離をとっていきました。
これまでは、どんなお願いも答えてくれてたのに。
ある日突然、答えてくれなくなったんだから、その人は不安になったと思います。

依存すれば楽できることを、教えてしまったのは私です。
自分でできることまで、お手伝いをしたのも私です。
喜ぶ顔が見たくて、ついついやりすぎてしまいました。

あの人にお願いすればなんでもやってくれる。
そう思わせてしまいました。

どうして呼んでもきてくれないの?と言われるたびに、胸が苦しかったです。
そう言わせてしまった自分が、情けなかったです。

その人が施設を退所する日、ありがとうと笑顔で言ってくれました。
あなたに会えてよかったとも。
でも、私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
私が依存させたことで、寂しい時間を過ごさせてしまいました。

今思えば、頼りにされることで自分のメンタルを保っていたんだと思います。
自分の存在価値を高めていたんだと思います。
その人を利用して、介護職員としての自信を付けようとしていたんだと思います。

誰もが依存しながら生きている、大切なのはほどほどに依存すること、バランスが大切

人は一人ぼっちでは生きていけません。
一人で生きてるつもりでも、どこかで誰かと繋がっています。
人との関りがある以上、依存はすぐ隣り合わせの存在です。

依存するのがいけないのではなく。
依存しないと何もできなくなるのが、よくないんだと思います。

お互いさまと言いながら、助けたり助けられたりしながら人は生きていきます。
そのバランスが崩れるから、おかしなことになってしまいます。

おんぶして前に進むのではなく。
手をつないで一緒に歩けばいい。
自分の足で歩きながら、時には手を引いてもらい、時には相手の手を引いてあげる。

人は誰でも、誰かに依存しながら生きていると私は思います。
そのバランスが大切なのかもしれません。

ではまた。