「虐待」という言葉を目にして何を思い浮かべますか?
今回は虐待とは何をさすのか。
そして、どうして私がこんなブログを書くのか。
そのことについて書いてみようと思います。
虐待の種類
虐待とは。
厚生労働省HPには以下のように書かれています。
身体的虐待
殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など性的虐待
こどもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする などネグレクト
家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など心理的虐
言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV)、きょうだいに虐待行為を行う など
殴る・蹴るなどの身体的虐待だけじゃない。
傷つける言葉や人格否定をするような態度や、心理的に追い詰めて本人の自由を奪ったりコントロールしたり。
生理的に不快なことを言ったり、触ったり見せたりするのもそう。
身の回りの世話をせずに放置したり、教育を受けさせなかったり、きちんと食事を与えなかったり、それら全部が含まれています。
叩く、怒鳴る、はしつけではない
「しつけ」と言えばなんでも許されるわけじゃないです。
絶対に叩くなとは言わないけど、なるべく叩かない方がいいよね。
私が子育てをしているとき、娘たちに手を上げたことがある。
感情に任せて怒鳴ったこともある。
そしてその度に自分が怖くなった。
感情がおさえられないことや、他の方法を知らない自分が怖かった。
私に馬乗りになり「お前なんか産むんじゃなかった」って首を絞めてきた母親と同じことをしてしまうんじゃないかって。
私の髪をつかみ振り回し、力任せに叩いてきた義父のようになるんじゃないかって。
自分が怖くて仕方がなかった。
感情が高ぶるたびに怖くて、でも自分をおさえられなくて。
娘たちを強く叱った日の夜は、寝顔に向かって泣きながら謝るのを数え切れないくらいくり返した。
これも虐待を受けた後遺症なのかもしれないね。
虐待を受けて大人になった被害者の苦しみは他人事じゃない
「しつけ」という名の隠れた虐待は、その後の人生を大きく変えてしまう。
子供の頃にできた傷が、大人になってからうずいたり、えぐられたりする。
それが本当に苦しくて辛い。
自分の情けない姿を見るたびに、過去に受けた虐待が原因じゃないのかって考えてしまう。
そして、結局何をやってもうまくできない人間なんじゃないかって自分を責めてしまう。
過去におびえながら生きていくことになる。
虐待はニュースで見るものでも、遠い場所で起こっているものでもない。
映画やドラマや小説の中の話でもない。
すぐ身近で起きていることだし、隣の家で起きているかもしれないし、自分が当事者になるかもしれない。
ちょっとしたことなんだよ。虐待って。
いつもの行動と紙一重なんだよ。
自分の感情に任せて相手をコントロールしようとしたら、それはもう虐待なんだと思う。
しつけって、本人が自分で自分をコントロールできるようにする方法を教えることだと思う。
その違いを知ってさえいれば、虐待に走ってしまう人が減るのかもしれないね。
それぞれの悩みに大きいも小さいも重いも軽いもない
人はだれしも悩みがある。
悩みに大きいも小さいもないし、重も軽いもないと私は思う。
だから「あの人に比べれば自分の悩みなんてどうってことない」なんて思わなくていい。
あなたの悩みは、あなたにとってとても大きく辛いものなのは間違いないんだから。
まずは人と比べないこと。
人によって悩みは様々。
自分にとってどうってことない悩みも、その人にとっては夜も眠れないほどの重さがあるかもしれないし、その逆もある。
比べられないし比べるものでもないと思う。
じゃあどうして私がこんなブログを書くのか。
それは、私が何を思い何をしているのか。
それを見てもらうことで、そういう考え方もあるんだなって、そんな見方もあるんだなって思ってもらえたら嬉しいから。
全部に共感できるわけないだろうし、それは違うなって思う部分もたくさんあると思う。
でも、一つでもいいから何かヒントにつながるものが見つかれば嬉しい。
希望が見えたら嬉しい。
人は変われるんだって知ってもらえたら嬉しいし、未来は作れることを知ってもらえたら嬉しい。
過去におびえず、過去から学んだことをこれからの未来につなげていってくれたら嬉しい。
そんな気持ちでこれからもブログを書いていこうと思います。
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